ペリーが見た江戸日本

ペリーが日本を見て驚いたこと。




 嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、アメリカのペリー提督率いる黒船艦隊(東インド艦隊)が来航しました。ペリーは翌、嘉永7年1月16日(1854年2月13日)に旗艦サスケハナ号など7隻の軍艦を率いて再び来航し、条約締結を求め、3月3日(1854年3月31日)、日米和親条約を締結しました。ペリーには江戸日本、日本人はどう映ったのでしょうか。

「日本人の並外れた好奇心には驚かされる。わが国の独創的な発明品の数々を展示すると、彼らはあの手この手で飽くなき好奇心を満足させようとした。日本人にとっては、どの展示品もこの上なく珍しかったに違いないが、それをこと細かに観察するだけでは気がすまず、士官や乗組員らの後をついてまわり、機会さえあれば衣服に触ってみようとする」

日本人の好奇心には驚いたようです。珍しくて「ほう」と感心するだけでなく、しつこく飽きることなく見て回るのです。

「乗艦を許された人々も同じように詮索好きで、近づけるところなら隅々までのぞき込み、あちこちの寸法を測ったり、目に触れるものはなんでもかんでも独特の流儀で写生したりする」

技術を盗もうとしたわけです。さらにペリーは鋭い観察をしています。

「実際的および機械的技術において、日本人は非常な巧緻を示している。・・・日本人がひとたび文明世界の過去・現在の技能を有したならば、機械工業の成功を目指す強力なライバルとなるであろう」

江戸日本には既に一定の高い技術力があったことを示しています。だから黒船を評価でき、持ち前の好奇心で様々な角度から分析できたのです。ペリー初来航から2ヶ月後には洋式大型軍艦の建造に着手し、翌年には完成させています。「鳳凰丸」です。蒸気機関車の模型も安政2年(1855年)には走らせることに成功しています。

「読み書きが普及しており、見聞を得ることに熱心である。・・・彼らは自国についてばかりか、他国の地理や物質的進歩、当代の歴史についても何がしかの知識を持っており、我々も多くの質問を受けた」「長崎のオランダ人から得た彼らの知識は、実物を見たこともない鉄道や電信、銅版写真、ペキサン式大砲、汽船などに及び、それを当然のように語った。またヨーロッパの戦争、アメリカの革命、ワシントンやボナパルト(ナポレオン)についても的確に語った」

識字率は大きなポイントです。明治期の日本人の識字率は50%を超えており、当時の世界一の大国であるイギリスの20%を凌駕していました。こうしたものに対してフランスの社会学者ピエール・ブリューディは「文化資本」という概念を適用しています。知識、知性、教養、マナー、伝統的なものなどを指し、ブリューディは「社会資本より文化資本の方が強い」と指摘しています。比較文化学者の金文学氏によると日本は江戸期に高い文化資本を持っており、これが明治に入って西洋文化を吸収し、近代化に成功した秘訣だと述べています。また外国人は日本を植民地化することはできないと考えた理由の一つだとも指摘しています。

「4月25日の午前二時頃、下田沖に停泊中のミシシッピー号に二人の男が近づいてきた。瓜中萬二こと吉田寅次郎と、市木公太こと渋木松太郎の二人である。旗艦では通訳を出し、その男たちの要望を聞いた。合衆国へ連れて行ってほしい、世界を旅行し見聞を深めたいと言う。この行為はアメリカの法律では無罪でも、日本の法律からみると犯罪であり、相手国の法律を尊重するには引き返してもらうより他なかった」

吉田寅次郎吉田松陰のことです。ペリーはこの二人を「漢文を淀みなく見事に書き、物腰も丁寧で精錬されている」「知識を求めて生命さえ賭そうとした二人の教養ある日本人の激しい知識欲」「道徳的・知的に高い能力」と評価しており、「日本人の志向がこのようであれば、この興味ある国の前途は何と有望なことか」と評価しています。

 ペリーは条約締結後に下田へ行っています。ここでも様々な交渉で衝突しています。そして交渉がまとまり、下田を去ることになります。

「いよいよ私が最後の別れの挨拶を述べたときは、彼らは心から名残を惜しんでくれた。前日に送った以下の覚書で、私はかなり厳しいことを書いているのだが」
「しかし、不誠実だとか、果ては二枚舌と言われても、日本人は決して腹を立てない。口がうまいとかずるがしこいとか言われるのを名誉と考えているのだろうか、と思うほどである」

どんな相手であっても、何か面倒なことがあっても、礼節を尽くすのが日本人です。むやみに感情を表に出さないのも日本人です。これらも日本の「文化資本」なのです。




参考文献
 ちくま新書「幕末外交と開国」加藤祐三(著)
 小学館「ペリー提督日本遠征日記」M・C・ペリー(原著) / 木原悦子(訳) / 童門冬二(解説)
 PHP新書「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」竹田恒泰(著)
 南々社「広島人に告ぐ! 我々は『平和』を叫びすぎる」金文学(著)
添付画像
 合衆国水師提督口上書(嘉永6年6月8日)(PD)
 左よりヘンリー・アダムス副使(艦長)、ペリー水師提督、アナン軍使(司令官)

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