清潔好きだった江戸日本人

昔も今も日本人は清潔好き。




 幕末に来日した外国人は日本人は清潔な国民であることを指摘しています。

 イギリス公使オールコック (安政6年 1859年来日)
「一般に日本人は清潔な国民で、人目を恐れずに度々からだを洗い、身につけているものはわずかで、風通しのよい家に住み、その家は広くて風通しの良い街路に面し、そしてまたその街路には、不快なものは荷物を置くことを許されない、というふうにいうことをはばからない。すべて清潔ということにかけては、日本人は他の東洋民族より大いにまさっており、とくに中国人にはまさっている。中国人の街路といえば、見る目と嗅ぐ鼻をもっている人ならだれでも、悪寒を感じないわけにはゆかない」

 身体の清潔を保ち、街路も清潔と観察しています。

 フランス海軍士官スエンソン (慶応2年 1866年来日)
「日本人の清潔好きはオランダ人よりはるかに発達していて、これは家屋だけでなく、人物一般についてもいえるのである。仕事が終わってから公衆浴場に行かないと一日が終わらない。公衆浴場で何時間も湯を浴び、下着を洗っておしゃべりの要求も満足させる」

 江戸時代の銭湯は「湯屋」といい、混浴で、二階が休憩所となり、そこでおしゃべりしたり将棋や囲碁をしたりしていました。家屋も清潔で、毎日お風呂に入る習慣があったのです。

 ドイツ考古学者シュリーマン(慶応元年 1865年来日)
「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている」

 日本人にとって外国人の習慣のあるものが、とても不潔だと感じていました。ハンカチではなをかむことです。日本人はチリ紙を使います。スエンソンは「西洋人は一日中不潔なハンカチをポケットに入れて持ち歩く。それが(日本人は)どうしてもわからぬというのである」と書いており、シュリーマン「彼ら(日本人)は、われわれが同じハンカチーフを何日も持ち歩いているのに、ぞっとしている」と書いています。

 アメリカ総領事のハリス(安政3年 1856年来日)は下田の柿崎を訪れて、貧乏でも清潔だと述べています。
「世界であらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない彼らの家屋は必要なだけの清潔さをまた持っている」

 旅行家のイザベラ・バードは(明治11年 1878年来日)は日本の料理のやり方も清潔だと言っています。
「貧民階級の衣類や母屋がどんなに汚くても、料理の仕方とその料理を供するやり方は極端に清潔なのだ」

 もちろん日本全国津々浦々清潔というわけではなく、都市部では「湯屋」が発達していましたが、農村部には風呂がないところが結構多くあったのです。イザベラ・バードは東北を旅行して「これまで旅したほぼ全域で清潔さが欠如している」として皮膚病の多さを指摘しています。

 それにしても日本人はなぜ清潔にすることを習慣としていたのか。推測ですが、お風呂に入る習慣は神道の"身を清める"ところからきているのではないかと思います。日本神話では黄泉の国から戻ったイザナキが水を浴びて穢れを清めることを行なっています。家屋や街路の清潔さも"掃き清める"という言葉がある通り、神道あるいは仏教からかもしれません。食品も"いただきます"と言うとおり"命"をいただくという食材への感謝があり、また神話では五穀は神の命と引換にいただいたものですから、丁寧にそして清潔に扱ってきてたというのがあるのではないかと思います。



参考文献
 岩波文庫「大君の都」オールコック(著)/ 山口光朔(訳)
 講談社学術文庫「江戸幕末滞在記」E・スエンソン(著) / 長島要一(著)
 講談社学術文庫シュリーマン旅行記 清国・日本」ハイリッヒ・シュリーマン(著) / 石井和子(訳)
 平凡社「逝きし世の面影」渡辺京二(著)
 講談社学術文庫イザベラ・バード日本紀行」イザベラ・バード(著) / 時岡敬子(訳)
 平凡社イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」宮本常一(著)
 PHP文庫「日本の神話と古代史がよくわかる本」日本博学倶楽部(著) / 島崎晋(監修)

添付画像
 博物館に移築された子宝湯の入口部分 - 江戸東京たてもの園 Auth:Wiiii(CC)

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