子供を可愛がった江戸日本人

子供の虐待などあり得なかった江戸日本。




 旅行家 イザベラ・バード 明治11年(1878年)来日
「私は、これほど自分の子供をかわいがる人々を見たことがない。子供を抱いたり、背負ったり、歩くときには手に取り、子供の遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れていき、子供がいないといつもつまらなそうである」

 バードが日光にいったときの観察です。

「毎朝六時ごろ、十二人か十四人の男たちが低い塀のしたに集まって腰を下ろしているが、みな自分の腕の中に二歳にもならぬ子供を抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子供の体格と知恵をみせびらかしていることである」「家を閉めてから、引き戸を隠している縄や籐(とう)の長い暖簾(のれん)の間から見えるのは、一家団欒の中にかこまれてマロ(ふんどし)だけしかつけてない父親が、その醜いが優しい顔をおとなしそうな赤ん坊の上に寄せている姿である」

 当時の日本では当たり前のことも外国人は自国と比較しますから、日本人はとても子供を可愛がっていると観察したわけです。

 イギリス公使 オールコック 安政6年(1859年)来日
「江戸の街頭や店内で、はだかのキューピットが、これまたはだかに近い頑丈そうな父親の腕に抱かれているのを見かけるが、これはごくありふれた光景である。父親はこの小さな荷物を抱いて見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこちを歩き回る。ここは捨て子の養育院は必要でないように思われるし、嬰児殺しもなさそうだ」

 英国人ジャーナリスト エドウィン・アーノルドは「街はほぼ完全に子供たちのものだ」といい、アメリカ人動物学者のモースは「母親が赤ん坊に対して癇癪を起こしているのを一度も見ていない」、スイスの外交官アンベールは「日本人の暮らしぶりで一番利益を受けるのは子供たちである」、イギリスの書記官オリファント「子供の虐待を見たことがない」と述べています。

 イザベラ・バードは大館に向かう途中でも日本の家庭を細かく観察しています。
「ここでは今夜も、他の幾千もの村々の場合と同じく、人々は仕事から帰宅し、食事をとり、煙草を吸い、子供見て楽しみ、背におって歩き回ったり、子どもたちが遊ぶのを見ていたり、藁で蓑を編んだりしている・・・残念ながらわが英国民は、おそらく他のどの国民よりも、このようなことをやっていない。・・・英国の労働者階級の家庭では往々にして口論があったりいうことを聞かなかったりして、家庭は騒々しい場所となってしまうことが多いのだが、ここでは、そういう光景は見られない」

 ここでイギリスの家庭との比較が出ています。「口論があったり、いうことを聞かなかったり」がイギリスの家庭であり、夫婦の口論や子供が言うことを聞かないので叱りつける母親といった光景が想像できます。そう、現代の日本の家庭がそうなっているのです。外国人が賞賛した古き良き家庭が失われてしまったのです。

 江戸日本人はなぜそんなに子供を可愛がったのか。民俗学者宮本常一氏(故人)はエコノニミー(子供本位の呼称法)のあるところは非常に子供を大事にする風習がある、と述べています。一郎くんのお父さん、花子さんのお母さん、という具合に本人の名を呼ばずに子供中心の呼び方をするのがそうだといいます。また、イザベラ・バードは4歳の少年の書道を見せられました。「神童」を紹介されたのです。バードは「私はこれほど大げさな子供崇拝の例を見たことがない」と書いています。いわば「早熟」な子なのですが、それを「神童」として見立てていることにバードは驚いています。江戸日本人は子供を崇拝する、子供を神聖なものとして捉えていたわけです。宮本常一氏は現代で電車に乗ると子供を必ず掛けさせるのは子供に対しての「神聖観」が残っているからだと指摘しています。

 江戸日本人は子供を神聖なものとしてとらえていて、それゆえ子供を大切にし、子供を中心に据えて生活をしていました。これなら子供の虐待など無縁の世界です。神聖な子供を虐待して死なせようなものなら「打ち首」です。江戸時代、子供の虐待は極刑に値する「悪」でした。

 現代では子供への虐待がよく問題視され、プライバシー重視により家庭が密室化したのが原因としてよく挙げられています。それもあると思いますが、本来日本人が持っていた子供に対する神聖観が薄れてきていることも挙げられると思います。日本文明と西洋文明の衝突よりおきた古き良き伝統の破壊による民族劣化の一つでしょう。



参考文献
 平凡社ライブラリー「イザベラバードの『日本奥地紀行』を読む」宮本常一(著)
 平凡社ライブラリー「逝きし世の面影」渡辺京二(著)
 岩波文庫「大君の都」オールコック(著)/ 山口光朔(訳)
 双葉社「江戸明治 遠き日の面影」
参考サイト
 (3)江戸時代にも虐待はあった…せっかん死の親は打ち首 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110118/crm11011804580058-n1.htm

添付画像
 楊洲 周延(ようしゅう ちかのぶ)の作品 花見 (PD)

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