家具がなかった江戸日本に外国人は注目した

そういえば時代劇でも家具が見えない。




 江戸の時代劇ドラマなど見ていますと、武家屋敷や裕福な町人の家の中はガランとしています。当時はテーブルや椅子、ベッドといったものがありませんから、そうなるのでしょうが、幕末に訪れた外国人は一様に驚き、中には感心する人もいます。

 ドイツ考古学者ハインリッヒ・シュリーマン(慶応元年(1865年)来日)
「日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。床は一般に道路から30センチほど上がったところにあって、長さ2メートル、幅1メートルの美しい竹製のござ(畳)で覆われている。ござは、長椅子やソファ、テーブル、ベッド、マットレス − おそらく日本人がその存在も使用法も知らないものの代わりに使われている。実際日本には家具の類がいっさいない。せいぜい部屋の片隅に長さ1メートル、幅、高さともに60センチのこんろ(長火鉢)に似た持ち運びのできる小さな竈(かまど)があるぐらいのものだが、家族の質素な食事を用意するには、それでじゅうぶん間に合う。部屋の横手の仕切り壁には引き戸があり、その後ろの棚の上に本とか鉢とか漆器、木枕などが置かれている」

 江戸時代、竈(かまど)は固定で長火鉢でお茶を沸かしたり鍋物を温めたりしていたので記載に若干誤りはみえますが、食事をするテーブルは箱膳が代わりをしました。ふだんは食器が入っており、食事の時取り出して、蓋を膳として用います。食事が終われば片付けます。椅子はなく、畳にすわって食事をし、夜はその上で寝ますからベッドの代わりです。布団は敷布団があり、掛け布団は褞袍(どてら)です。これもたたんで片付けます。長屋では部屋の隅一箇所に積んで枕屏風で見えないようにしていました。まったく家具がないというわけではなく、箪笥(たんす)はありましたし、行灯(あんどん)がありました。台所には米びつが置いてあります。

 フランス海軍士官スエンソン(慶応2年(1866年)来日)も家具がないことに注目しています。
「日本の家屋の床には一面に厚さが1インチほどの竹の皮のマット(畳)が敷いてあり、その清潔さ、その白さは壁や窓に劣らない・・・家具はほとんどないに等しい。日本人は椅子もテーブルもベッドも必要としない。これら有用だがかさばる家具の役割は、やわらかいマットの床が肩代わりしてくれている」

 オランダ海軍軍人ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ(安政4年(1857年)来日)
「日本人が他の東洋書民族と異なる特性の一つは奢侈(しゃし)贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない」

 フランス青年伯爵リュドヴィク ボーヴォワル(慶応3年(1867年)来日)
「家具といえば、彼らはほとんど何も持たない。一隅に小さなかまど、夜具を入れる引き戸付きの戸棚、小さな棚の上には飯や魚を盛る漆塗りの小皿がきちんと並べられている。これが小さな家の家財道具で、彼らはこれで十分に、公明正大に暮らしているのだ」

 ほとんどの外国人は注目しています。前出のシュリーマンは家具を揃えて競い合って出費をしているヨーロッパを見直し、豪華な家具は文明が作り出したもので、ちっとも必要なものでないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるだけだと気がつきます。また、ヨーロッパの結婚難も家具を揃えるための出費がかさむからだとして、日本の習慣を取り入れたらどれだけ子を持つ親は楽になれるかと語っています。

 イギリスの公使オールコック安政6年(1859年))もヨーロッパの状況と比較しています。
「かりにヨーロッパ人同士の夫婦が、ソファや椅子、ならびにそれにつきものであるテーブルなどのない家を借りて、清潔な畳(マット)の上に横たわることに耐えられるとすれば、はたして年収400ポンドで結婚生活が営めるかどうかということをめぐる論争はたちどころに解決して、だれしもが結婚生活ができるという見通しをえるであろうことは確実だ。日本においては、若い夫婦が家具屋の請求書に悩まされるようなことは、ありえない」

 江戸時代、家具がなかった理由は色々あると思いますが、完全リサイクル社会なので、個人個人が机や椅子、ベッドなど持つような木材のリサイクル供給はできなかったでしょうし、質素を良しとしたので需要もなかったということでしょう。
 考えて見れば現在の我々の生活はほとんど欧化しており、家具類など見渡すと江戸を見習えば「なくても困らない」ものが多くあります。食卓は箱膳、あるいは折りたたみ式ちゃぶ台で十分ですし、ベッドは畳の上に布団を敷けばいいです。ソファーなんか座布団敷けばいらないでしょう。普段使わない食器がたくさん入った食器棚は箱膳を使えば不要です。滅多にこないお客用のお皿など新聞紙にくるんで納戸に入れておけばよく、よく来るお客は客用の箱膳を用意すればいいわけです。結局我々はシュリーマンが言うように便利で合理的だから買って使っているのではなく、単に文明が作り出したものに振り回されているだけと言えます。



参考文献
 講談社学術文庫シュリーマン旅行記」H・シュリーマン(著)/ 石井和子(訳)
 河出書房新社「江戸の庶民の朝から晩まで」歴史の謎を探る会(編)
 双葉文庫「時代小説 江戸辞典」山本眞吾(著)
 講談社学術文庫「江戸幕末滞在記」E・スエンソン(著) / 長島要一(著)
 平凡社ライブラリー「逝きし世の面影」渡辺京二(著)
 岩波文庫「大君の都」オールコック(著)/ 山口光朔(訳)
添付画像
 旧石橋家住宅 兵庫県伊丹市にある歴史的建造物(CC)

広島ブログ クリックで応援お願いします