「本日天気晴朗ナレトモ波高シ」、連繋機雷作戦使えず

「本日天気晴朗ナレトモ波高シ」・・・この意味は?


 日露戦争真っ只中の明治37年(1904年)8月19日、ロシアの旅順艦隊は旅順港を出航し、ウラジオストックへ向かいました。日本連合艦隊は阻止すべく出撃します。連合艦隊は旅順艦隊を捉え、艦隊の頭を抑えるべくターンします。距離約12,000メートル。丁字戦法です。
 丁字戦法というのは敵艦隊が縦列で進んできたとき、敵先頭に対して横一列に並ぶ形をとり、敵先頭艦に対して集中砲を加えて順次撃滅していく戦法です。艦隊同士が「丁(てい)」の字を描くことから丁字戦法と呼ばれています。
 ところが、旅順艦隊は連合艦隊の進行方向とは逆方向に向きを変えたため、連合艦隊も回頭し、並航戦(並んで撃ち合う)となり、更に旅順艦隊は左へ舵をきったため、反航戦(互いに向き合いすれ違う)形になります。このままでは旅順艦隊を逃がしてしまうため、連合艦隊は更にターンを重ねました。丁字作戦失敗です。

 連合艦隊は丁字戦法では敵を逃がしてしまうことを学びました。欧州からやってくるバルチック艦隊にこの戦法を使えば、ウラジオストックに逃げ込まれてしまうかもしれません。このため丁字戦法は封印されました。日本海海戦東郷平八郎が東郷ターンを命じて丁字戦法を使ったと言われていますが、これは結果的にそうなったということでした。

 連合艦隊参謀の秋山真之(あきやま さねゆき)はバルチック艦隊との決戦にあたって「七段構えの戦法」を考案しました。水雷艇駆逐艦を使った夜間奇襲、主力艦による決戦、追撃、機雷施設地帯への誘い込みらを4日間、七段階にわたり実施するというものです。この目玉となるのは「連繋機雷」というものです。4個の機雷を100メートルごとにロープでつないだもので、これを水雷艇を使って敵の針路にまいておきます。敵艦の艦首がロープを引っ掛けると機雷を手繰り寄せ艦側に衝突し、炸裂するというものです。機雷は約1時間過ぎれば機能を失う構造になっており、味方に被害が及ばないように考案されていました。この「連繋機雷」で奇襲攻撃をかけ、敵に損害を与えて隊列を乱したバルチック艦隊連合艦隊主力が決戦を挑むというのが秋山真之の狙いでした。

 明治38年(1905年)5月27日午前4時45分、仮装巡洋艦信濃丸が五島列島付近でバルチック艦隊を発見。「敵艦見ゆ」が打電されました。司馬遼太郎著「坂の上の雲」によると秋山真之バルチック艦隊が太平洋コースではなく、対馬コースを進んできたことに「シメタ、シメタ」と小躍りした、と書いています。しかし連合艦隊司令部は大本営宛に次のように打電しています。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ連合艦隊ハ直ニ出動シ之を撃滅セントス 本日天気晴朗ナレトモ波高シ」

 もともとは「・・・撃滅セントス」までしかなかったものを秋山真之「本日天気晴朗ナレトモ波高シ」加筆しました。海が荒れているので連繋機雷を撒く水雷艇が出動できない恐れがある、という意味が込められています。実際、水雷艇は荒波に翻弄され、行動不能と判断し、10時8分「荒天のため、奇襲隊列を解く」と下令されました。連合艦隊は秘策を使うことができず、バルチック艦隊との決戦に挑んでいったのです。



参考文献
 PHP研究所「歴史街道」20011.12
  『丁字失敗・・・司令部を愕然とさせた黄海海戦から学んだもの』松田十刻
  『丁字戦法封印!誤算続きの中、なぜ完勝できたのか』戸高一成
 文春文庫「坂の上の雲司馬遼太郎(著)
 徳間書店東郷平八郎と乃木稀典」

添付画像
 警戒中の日本艦隊主力部隊
  国立公文書館 日露戦争写真館より http://www.jacar.go.jp/nichiro/frame1.htm

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