世界から見たカミカゼ

カミカゼパイロットはヒーローだった。


 フィリピン・画家 ダニエル・ディソンさん。
「アンヘレスの街で鉢巻をした日本軍の飛行士達を見かけるようになりました。日本の兵隊達は鉢巻をした飛行士と街で会うと、お辞儀をするのでした。当時、私達はこの鉢巻をした人達がどんな人なのかは知りませんでした。なぜなら、カミカゼのことは特に極秘にされていたからです」

 昭和19年(1944年)10月、大東亜戦争マリアナが陥落し、戦禍はフィリピンに迫ってきました。そして神風特別攻撃隊が組織されました。神風第一陣の指揮官は関行男大尉となりました。下士官搭乗員を募集したところ、33名が志願し、23名が隊員として選ばれました。そして、隊を4つにわけ、敷島、大和、朝日、山桜としました。

 10月20日午前十時、第一航空艦隊司令長官の大西瀧治郎中将は201空本部の前庭に関大尉以下24名の搭乗員を集め、訓示を与えました。午後三時過すぎ、大西長官はマニラに帰ることになり、その前に皆にあっておこうと、マバラカット西飛行場を訪れ、20〜30分雑談を交わした後、白い湯のみ茶碗を関大尉に渡し、別杯を交わしました。

 10月25日、マバラカット基地より艦爆・彗星が索敵のために離陸し、関大尉ら敷島隊5機が出撃。直掩(ちょくえん)の4機が出撃しました。午前10時50分、敷島隊は敵空母を護衛していた駆逐艦の輪形陣を突破すると高度1500メートルまで上昇。逆落としに敵空母に突っ込みました。
 1番機は被弾しながら巧みに操縦し、空母セント・ローへ突っ込んでいきます。米兵の乗組員は血の気が引きました。ゼロ・ファイター(米軍のゼロ戦の呼び名)が爆弾を抱えていたからです。零戦はセント・ローの甲板に激突。機体は跳ねて海上に落ちましたが、徹甲爆弾は甲板を突き破って格納庫で爆発しました。セント・ローは誘爆を惹き起こして火柱をあげ、沈没しました。空母カリニン・ベイにも2機体当たりしました。

 この神風は米軍に衝撃を与えました。

 米・ハルゼー提督
「計画的自殺攻撃の背後に潜んでいる心理は、われわれにとって、あまりにも受け入れがたいものである。生きるために戦うアメリカ人にとって、他国の国民が死ぬために戦うという事実を認識することは困難である。日本軍が彼らのハラキリの伝統のために、そのような特攻隊を真に効果的ならしめる志願者を集めることができるだろうとは、われわれには信ずることができなかった」

 このカミカゼのニュースは世界中に衝撃を与え、「途方もない勇気の持ち主だったパイロットに尊敬と感嘆を惜しまない者」、その逆に「戦慄を覚え、眉をひそめ、一種の集団的発狂と決めつける者」もいました。あまりの衝撃と戦慄によってアメリカ、オーストラリアは何ヶ月も「カミカゼ」の報道を禁止しました。

 関大尉ら敷島隊の慰霊碑はフィリピン・マバラカットと関大尉の郷里、愛媛県西条市にあります。西条の慰霊碑は昭和50年(1975年)3月21日に、源田実参議院議員真珠湾攻撃に参加)の手によって序幕されました。私は今年の夏、慰霊碑に行ってきました。地元の人の話では以前は、関大尉が最初に神風特攻隊となったため、多くの人が続いて死んだとして、悪く言う人が結構いたそうです。情けない日本人がいたものです。

 ダニエル・ディソンさん
カミカゼの精神は、アイデンティティ、自らの名誉や文化を守るために自らの命を引き換えにするところにまで、人は到達することが出来るのだ、ということを示しているのです」

 フィリピン 元上院議員ベニグノ・アキノ
「人が自分を超えた何ものかのために、命を犠牲にするのはいつの時代でも美しい。マバラカットから出撃した彼らに共感を抱いた」

 フランス ジャーナリスト ベルナール・ミロー
「このこと(カミカゼ)を我々西欧人はわらったり、あわれんだりしてもいいのだろうか。むしろそれは偉大な純粋性の発露ではなかろうか。日本国民はそれをあえて実行したことによって、人生の真の意義、その重大な意義を人間の偉大さに帰納することのできた、世界で最後の国民となったと著者は考える」

 平成12年(2000年)10月25日、マバラカットで神風特攻隊の慰霊祭が執り行われました。地元の多くの人が参加し、学生が多く参加していました。取材したジャーナリストの井上和彦氏は「君たちはカミカゼパイロットを尊敬しているのですね?」と聞くと皆屈託のない笑顔で「もちろんです!だってあの人たちはヒーローですもの・・・」と答えました。



参考文献
 講談社「祖父たちの零戦神立尚紀(著)
 KKベストセラーズ「歴史人」2011.6『語り継がれる零戦の死闘』松田十刻
 桜の花出版「フィリピン少年が見た カミカゼ」ダニエル・H・ディソン(著)
 転展社「世界から見た大東亜戦争」名越ニ荒之助(編)
 オークラ出版「世界に愛された日本」『カミカゼはフィリピン人の英雄だった』井上和彦

添付画像
 愛媛県西条市にある敷島隊の慰霊碑(JJ太郎撮影 PD)

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真実はどこに・・・
http://www.youtube.com/watch?v=imtmbp0w8cY