GHQの焚書と検閲

戦後、歴史の捏造歪曲・抹殺が行われた。


 戦後、GHQによって焚書が行われました。昭和5年ころから19年頃までに出版された政治、文化、歴史、経済、科学、軍事のあらゆる分野、文学者の従軍記や兵士の体験記、英語やドイツ語の翻訳文献、資源論から精神論まで日本の戦争に直接あるいは間接に関係のあった七千百点の書物を没収して日本の読書人の前から消してしまったのです。言論の自由、出版の自由を推し進めている裏で言論破壊、歴史破壊を平然と行っていたのです。しかし、さすがに図書館や個人所有のものには手をつけられなかったようで、国会図書館には約7割が残っており、評論家の西尾幹二氏らによって分析されてきています。15年もの間の歴史が焚書により抹殺され、戦勝国によって新しい歴史が造られ(※1)、国民は変だなと思いつつどちらが正しいか比較材料すらなくなってしまい、それは時がたつにつれ捏造、歪曲された歴史が本当の歴史だと思うようになっていったと思われます。戦後生まれの人など学校で教えられ、メディアでウソを垂れ流されたら疑いようもありません。

 一方、検閲のほうは原爆の談話を掲載した朝日新聞が発行停止を喰らったり、進駐軍兵士の暴行を非難すると一部残らず押収されました。公に出版されているものだけでなく、個人の手紙まで対象となる徹底的なものでした。手紙は百通に一通ぐらいの割合で開封されます。検閲に関わるのは日本人です。英語ができて翻訳ができる人を集め8,000人から10,000人にのぼったと言われています。戦後、食料がなく困っていた頃でしたから、それを餌に売国行為に走らせたわけです。
 この検閲官の上にまた検閲官がおり、100通中「これはマズい」という手紙を5通発見すると英訳して上位の検閲官に提出します。そして残りの95通から再度抽出し、別の日本人検閲官に調べさせるのです。したたかなシステムです。

 検閲の徹底は「検閲学校」を作ったことから伺えます。採用した日本人検閲官に講義を行い、講義が終わると受講者全員に「検閲テスト」を行うのです。以下一例です。

国家神道は奨励されるべしと説いている論説は、『新聞遵則』違反である」(正)

大東亜戦争は世界平和増進のために必要だったと述べている記事論説等は、違反である」(正)

「紙面構成に当たってある新聞が中国人が日本人を射殺した話を取り上げ、第一面の目立つ場所に掲載した。これは違反だとは考えられない」(誤)
 検閲によってマスコミと「GHQとの共犯関係」が出来上がり、記事は「GHQ製」になっていき、一般国民は手紙まで検閲され大いに不安になりました。昭和27年に日本が主権を回復しても、マスコミは「共犯」による「罪」を隠すため、知らぬ顔で「GHQ製」の記事を続け、やがて、それはマスコミの風土になっていきました。学校では「GHQ製」の歴史が教えられ、戦前を知らない世代は「自虐史観」に染まっていったのです。これらはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP 戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)に基づいたものでした。

 昭和23年、CI&E(GHQ民間情報教育局)からCIS(GHQ参謀第二部間諜報局)にあてられて発せられた文書「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の冒頭。
「CIS局長と、CI&E局長、およびその代理者間の最近の会談にもとづき、民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で、開始しかつこれまでに影響を及ぼして来た民間情報活動の概要を提出するものである。文書の末尾には勧告が添付されているが、この勧告は、同局が、”ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム”の続行にあたり・・・」

 現代日本人はGHQの呪縛から解かれていません。未だに大東亜戦争侵略戦争だった、南京虐殺といったGHQ製の捏造歪曲の歴史が主流を占めています。



※1 「太平洋戰爭史」が新聞に連載され、後に高山書店が製本し、発売。多くは学校に配られた。


参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二(著)
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」西村幸祐(編)
 文春文庫「閉ざされた言論空間」江藤淳(著)

<参考>
国立国会図書館では日本占領関係資料の検索が行えるようになっている。
http://opac.ndl.go.jp/

添付画像
 連合国軍最高司令官総司令部が入った第一生命館(PD)

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名作動画:GHQ絶対主義
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