昭和の日

国民とともにあられた昭和天皇


 「昭和の日」は昭和天皇崩御後は「みどりの日」と制定されていましたが、平成17年(2006年)になってやっと「昭和の日」に改定されました。

 宮中には水田があり、天皇陛下ご自身が田植え、稲刈りをされますが、これを始められたのは昭和天皇であると言われています。明治天皇も赤坂御所に水田をつくられていたと伝えられています。昭和天皇が稲作をお始めになったのは農民の苦労をより身近にしのぶため言われています。始められたのは昭和2年であり、農業恐慌はこの2年後なので、恐慌とは関係なさそうです。また、昭和天皇は植物学者であらせるので品種特性の遺伝関係を研究されるという目的もあったといわれています。

 テレビで天皇陛下が稲刈りされているお姿が報道されますが、作業服に長靴姿であり、われわれは違和感を感じず見ています。西洋の王室などでは絶対にこのようなことはしないでしょう。「日本書紀」には天照大神が水田を営み、新嘗の祭りを行っています。われわれ日本人は神様が働いているのだから働くことはいいことだと無意識に思っています。「勤勉」な日本人の伝統があります。だから天皇陛下が稲作をされているのを見ても違和感を感じないのでしょう。

 昭和天皇は朝食はほぼ毎日、洋食をおとりになり、昼食と夕食は和食と洋食を交互にとられていました。朝食はトーストもしくはオートミールにサラダ、果物、温野菜、ミルクが定番でした。昼食や夕食の和食は丸麦入りのご飯、秋刀魚の塩焼き、オムレツ、ほうれん草のお浸し、香の物、お汁。洋食であればハンバーグに付け合せの野菜、スープ、パン、サラダといった具合です。カレーライスやチャーハン、カツ丼も食べられていました。ごく普通の家庭料理です。和食に天ぷらやお刺身がつくのはお客様がこられたときぐらいです。陛下の料理人を務めた人すべてが一般の家庭よりも質素な食事に驚いたと口をそろえます。食材も御料牧場や築地の市場から仕入れます。お米も標準米です。

 大東亜戦争終戦直後まもなくは食糧事情が悪く、昭和天皇侍従長を呼んで「皇太子以下食べ盛りの子供たちはそうもゆくまいが、私の食事だけは国民と同じ配給量にしてくれ」と述べられ、侍従長とお勝手元である大膳課は大いに困ったといいます。また自分の食べるパンが白いのはなぜか?と、大膳課におたずねになられ、アメリカから入ってきたメリケン粉だとわかると、「私のパンだけ白いのは困る。国民の配給と同じにしてくれ」とおっしゃって、お聞き入れになられない。それで仕方なく配給の粉を使って、黒パンに変えたといいます。

 朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。(新日本建設に関する勅書 昭和21年 より)

 昭和天皇はお言葉どおり国民とともにありました。その伝統は今上天皇にも受け継がれています。



参考文献
 講談社現代新書天皇陛下の全仕事」山本雅人(著)
 KKベストセラーズ「歴史人」DEC.2010 No.3
 PHP文庫「日本の神話と古代史がよくわかる本」島崎晋(監修)日本博学倶楽部(著)
 玄冬社「昭和天皇論」小林よしのり(著)
 講談社学術文庫昭和天皇語録」黒田勝弘・畑好秀(編)

参考サイト
 国立公文書館 新日本建設に関する勅書 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&REFCODE=A04017784700

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添付画像
 正装姿の昭和天皇(燕尾服・大勲位菊花大綬章・同副章)と香淳皇后(ローブデコルテ・勳一等宝冠章・同副章)昭和31年(PD)

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昭和天皇御真影
http://www.youtube.com/watch?v=dYSRnWGwlVg