お笑い満州事変

お笑い支那様史観。


 梅田正巳著「近代日本の戦争」での満州事変の記述は「お笑い」的記述になっています。

P103


 奉天を占領した関東軍はつづいて長春、さらに吉林を占領します。その時、北京で病気療養中だった張学良は、戦火の拡大を避けるため全軍に不抵抗・撤退を命じるのですが、そのこともあって関東軍の軍事行動は拡大の一途をたどり、翌32年にはハルビンを占領して、わずか5ヶ月で広大な満州全域を制圧したのです。

 26万の張学良軍が1万の関東軍に「不抵抗」などというのは面白い。梅田氏は26万という数を隠して記述しています。実際のところは初期段階では抵抗できなかったのです。張学良軍は匪賊みたいなもので民間住宅に押し入ってゆすり・たかり・強姦をやっていので、武器の悪用を警戒して夜間は武器庫に収めるようになっていました。関東軍はここを突いてこの時間に攻撃したのです。ほうほうのていで逃避したのです。※1 そして錦州に立てこもって反撃の拠点としましたが、日本軍が航空爆撃を行ったため、万里の長城の南に逃げていったのです。また、共産党との対決もあり、蒋介石の方針によって張学良は不抵抗、撤退を命じたのです。これも梅田氏は隠しています。

 この満州事変により奉天は袁金凱委員長が自治維持会を組織し、支那と絶縁して民意に基づく新政権の樹立を目指しました。吉林省も独立しています。遼寧省も独立、熱河省も独立し、両省で独立宣言をしています。

「わが東北民衆は、軍閥の暴政下にあること十数年、今やこれらの悪勢力を一蹴すべき千載一遇の機会に到達した。・・・新独立政権の建設をはからざるを得ざるに至った。これがために本会は、張学良と関係のある錦州政府ならびに軍閥の渦首蒋介石らの蠢動(しゅん‐どう)を否定することを決議した」※2

 つまり、張学良軍閥はとうに見限られていたということです。あたかも平和主義者のように不抵抗・撤退などお笑いです。誰も味方してくれないのですから・・・逆に関東軍解放軍になったのです。

 さて、張学良はこの後、国民党に直属しますが、米国上海副領事 ラルフ・タウンゼントによるとイタリアに旅行に行ったらしいです。
「張学良の話である。『満州の王』気取りで、支那に『満州には手を出すな』と警告まで出すほどになった。こうまでされては支那政府も黙ってはいないと思うのだが、何もできない。ただ「反逆者、無法者」としただけである。だから張は我が物顔に満州で暴れまわっていた。ところが日本軍がわずか1万400の兵で、しかもたった数日で20万の張軍を撃退した。負けた張学良はどうなったか。広大な満州から搾り取ったから金に不自由はない。選りすぐりの美女20〜30人を秘書として従わせ、イタリア旅行へと洒落込んだのである」※3

 梅田氏の支那様史観のなんと笑えることでしょうか。



※1 光人社「騙しの交渉術」杉山徹宗著より
※2 扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄著より
※3 芙蓉書房出版「暗黒大陸中国の真実」ラルフ・タウンゼント著 田中秀雄・先田賢紀智 訳より

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 ジャイアンを懲らしめろ 〜 満州事変 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/27160038.html

添付画像
 柳条湖鉄道爆破現場を調査しているところ(PD)

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