武士の家計簿

武士は貧乏だった。


 「武士の家計簿」という映画が上映されています。なかなか休日は外出ができないので、半年後にDVDで見ることになりそうです。

 この「武士の家計簿」の原作は磯田道史氏の「武士の家計簿」で加賀百万石の御算用者という会計役、猪山家の家計簿が幕末から維新にかけてそっくり残っているのが発見され、その家計簿を分析したもので、フィクション小説ではありません。ここから様々な武士の生活模様が読み取れます。
 これを読むとよく言われている武士は農民を生かさず殺さずして搾取して贅沢した、というのはウソというのがわかります。「武士(ぶし)は食わねど高楊枝(たかようじ)」が正解でしょう。

 猪山家の年収は銀貨にして三貫目(11.25Kg)であり、現在の貨幣価値にすると銀一匁(もんめ)4000円計算として1230万円となります。エリート官僚ですね。ところが借金も年収の2倍ありました。これは当時珍しくないことでした。武士は武士身分としての格式を保つための支出が多く、使用人を雇ったり、親類や同僚と交際する費用、儀礼行事をとりおこなう費用、先祖、神仏を祭る費用などがあります。これをケチらず支出しなければ江戸時代の武家社会では確実にはじきだされ、生きていけなかったといいます。江戸詰めになればさらに支出が膨らみました。

 猪山家はこのままでは破産になるということで、家財のほとんどを売り払い借金を1/3に減らすことに成功します。

 猪山家の当主、直之の年間のお小遣いは19匁。約72,000円。月約6,000円です。妻は21匁だから妻のほうが多い。家来のぞうり取りは衣食が保証されている上に給銀83匁(約332,000円)と月50文(約2,380円)、さらに年3回のご祝儀とお使いのたびに15文もらっているのだから、懐具合はご主人よりもいい。

 現代感覚からすると武士はとてもお得な職業ではないのがわかりますね。この武士の時代というのは権力、権威、経済力が一ヶ所に集中していない時代でした。これを「地位非一貫性」といいます。こういう時代には革命というものはおきにくく、百姓一揆などありましたが、体制を壊す目的ではありません。

 金持ちは町人でした。農民は村という自治社会におり、「村」を通じて年貢を取り立てられました。年貢は5公5民とか言われていますが、検地が終了してからは農業生産の実態は変化しており、収益性の高い商品作物の導入や農業化工業の進展、農民の賃金収入などといった経済条件を加えると実質は十数パーセントから二十パーセントといったところになります。現代サラリーマンと変わりません。飢饉になどはありましたが、現代でいう不況に該当すると見ればいいのでしょう。

 それにしてもどうして現代人は武士が農民を生かさず殺さず搾取したというイメージを持ってしまったのでしょう。それは教科書がそうイメージさせるように書いてあるからでしょう。学校の授業を振り返って、ああそうか、と思い出す人もいるのではないでしょうか。



参考文献
 「武士の家計簿磯田道史
 「貧農史観を見直す」佐藤常雄・大石慎三郎 共著

添付画像
 「江戸の眺望」(江戸図屏風 PD)

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武士の家計簿』 予告
http://www.youtube.com/watch?v=2W_K0z-IHAI