内蒙古の独立

蒙古も満州支那ではない。


 昭和16年(1941年)8月4日、内蒙古自治邦が成立。内蒙古の事実上の独立が行われました。万里の長城以北の西側は蒙古で現在の東北と呼ばれる地域が満州人の聖地でした。蒙古と満州支那ではありません。

 1911年、清国が滅亡すると蒙古は独立運動を開始します。外蒙古ソ連の介入により独立しますが、内蒙古中華民国の支配を受けます。昭和7年(1932年)満州事変(前年から)が起こると、日本の陸軍士官学校出身のガンジュルジャブらが関東軍に呼応します。満州国が建設されると蒙古の一部が興安省として蒙古遊牧民の保護地区となり、ガンジュルジャブの軍は興安南警備軍となります。

 蒙古の一部は満州国に組み込まれましたが、昭和8年(1933年)、チンギス・ハーンの末裔である徳王は百霊廟会議を開催し、国民政府に内蒙古自治政府の設立を要求し、蒋介石はこれを承認。関東軍は徳王と接触し、徳王は対日連携を決定し、満州国へ行き、関東軍首脳から蒙古建国への軍事・経済援助の約束を取り付けます。

 昭和12年(1937年)支那事変が勃発すると東条英機率いるチャハル派兵団は蒙疆地域を軍事占領します。徳王は昭和天皇に拝謁し、陸軍大臣板垣征四郎に蒙古の独立建国を訴え、昭和14年(1939年)に蒙古連合自治政府が成立し、昭和16年(1941年)に蒙古自治邦の成立を宣言します。

 以前、ノモンハン事件について述べたとき、外蒙古との関係も少し書きましたが、内蒙古とも日本は諸関係あり、独立を支援しています。当時の状況から考えると日本は「反共」と満州国の国防観点での国益に沿った施策といえますが、これらも抹殺された歴史の一つといえます。徳王は戦後、中共に捕らえられ周恩来の要請により内蒙古独立運動日本帝国主義の扇動と自伝に書かされました。


参考文献
 「世界史のなかの満州帝国」宮脇淳子
 ワック出版「歴史通」2010.3月『目をおおう凄惨!漢族の内モンゴル虐待』金岡秀郎
参考サイト
 WikiPedia「蒙古聯合自治政府

添付画像
 徳王(左)(PD)
 
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