朝鮮半島を産業社会へ変貌させた水力発電



 朝鮮半島は資源は豊かではなく、唯一活用できる資源は「水」でした。日韓合邦後、朝鮮総督府は大規模な水力発電を利用して総合的な国土開発に着手しています。
 
 日本窒素肥料の大実業家、野口遵(のぐち したがう)は昭和3年(1928年)鴨緑江(おうりょくこう)上流を堰きとめ内地にもなかった17万キロワットもの巨大な発電所を作っています。さらにその2年後には20万キロワットの発電所を建設しました。
 発電事業が軌道に乗ると野口は朝鮮窒素株式会社を設置し、電力を利用して空中窒素から硫安(硫酸アンモニウム)を作り、内地へ移出しました。続いて白頭山豆満江、虚川江などにも次々と15万キロワットを確保する水力発電を設けています。鴨緑江流域には義州、雲峰、水豊など7箇所にダムを建設し、巨大な湖を作ることで180万から200万キロワットの出力が可能な大発電所を計画しました。野口は引退のとき、資産の大部分である3000万円(1円を現在の2万円とすると6000億円)文部省の科学進行のためと朝鮮人子弟の教育のために寄付しています。
 
 この電力によって朝鮮半島は工業生産額が急増し、1927年(昭和2年)〜1933年(昭和7年)は3億円台だったのが、1935年(昭和10年)には6億円台、1940年(昭和15年)には18億円を突破し、農業生産に匹敵するまで成長しました。
 
 これらの電力は各家庭にも供給され、1925年(昭和元年)は電灯総数は48万だったのが1939年(昭和14年)には206万個まで増え、1942年(昭和17年)には電灯普及率は全戸数の17.4%までとなりました。
 
 これらの建設コストは2億円(現在の価値で4兆円)ぐらいになり、送電設備を含めるともっとになるでしょう。多くは現在の北朝鮮にあり、日本と北朝鮮が国交を回復するときはこれらを全額弁済させるべきです。ちなみに水豊発電所は60万キロワット発電能力ですが、当時内地のNo.1は千住発電所の12万キロワットでした。いかに規模が大きかったかがわかります。

フランスの人文地理学者ジャーク・ブズー・マサビュオー
「現代の朝鮮人の目には、日本植民地時代の悪い面が、伝統と孤立に対する純然たる侵害として非常に大きく映っているのであるが、その反面、南北朝鮮の国家経済を著しく飛躍させるための基礎は、この時代に築かれたのであり、その成果もまた大きかったと言える。日本は40年ほどの間に厳しいやり方で、自然の脅威にさらされ大きな工業設備を持たない貧しかったこの農業国家を科学的な農業とさまざまな工業、そして活発な貿易を誇る経済の調和のとれた国へと変身させた」


参考文献
 「日本の植民地の真実」黄文雄
 「歴史を捏造する韓国」中川八洋
参考サイト
 WikiPedia「野口遵」
 
添付画像
 建設中の水豊ダム 昭和17年 (PD)
 
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 http://www.youtube.com/watch?v=NorHJJ78QMY&NR=1