東條英機vsキーナン検事 〜 東京裁判



 昭和22年12月22日から東京裁判の東條部門は山場を向かえ、日米開戦についてキーナン検事の追求が始まります。12月31日は東條英機とキーナン検事は一騎討ちが行われています。

キーナン「あなたはすでに法廷に対して、日本の天皇は平和を愛することをあなた方に知らしめたと言っているが、これは正しいか」
東條「もちろん正しい」

キーナン「そうしてまた、日本臣民たるものは何人たるも、天皇の命令に従わないということは考えられないと言った。それは正しいか」
東條「それは私の国民としての感情を申し上げた。天皇の責任とは別の話です」

キーナン「しかし被告は、実際、米英蘭に対して戦争したではないか」
東條「私の内閣において戦争を決意しました」

キーナン「その戦争を行わなければならない。行え、というのは裕仁天皇の意思であったか」
東條「ご意思と反したかもしれませんが、とにかく私の進言、統帥部その他の責任者の進言によって、しぶしぶご同意になったのが事実です」

 東條英機は開戦という国政に関する一大事は、内閣と統帥部の責任で為した最後の決定であって、天皇が拒否権を行使されることは、憲法上も慣行上もないことを理路整然と言い切ります。

キーナン「首相として戦争を起こしたことを道徳的にも、法律的にも間違ったことをしていなかったと考えるのか、被告としての心境を聞きたい」
東條「間違ったことはない。正しいことをしたと思っている」

キーナン「それでは無罪放免されたら、同僚とともに同じことをまた繰り返す用意があるのか」

ここでブルーエット弁護人が「これは妥当な反対尋問ではない」と異議を申し立てウェップ裁判長が容認し、質問を却下しました。キーナン検事は検事席に戻らず、さっさと退場しました。キーナン敗れたり、です。

 東條英機は自殺未遂で国民の評判を落としていましたが、これである程度回復しました。オランダの判事レーリンクはこう回想しています。
「実際、東條は裁判に対する態度によって日本人の尊敬を再び勝ち得ました。すべての被告人には自分自身で弁明する権利がありました。東條は非常に長い、非常に印象的なスピーチをして、その中で、彼は、自分の動機や日本政府の政治的到達点について説明しました。東條は自分の責任を否定しませんでしたが、『アジア人のためのアジア』という概念、日本が敵対勢力に包囲されるようになっていた事実、そして石油の供給削減のため日本の命運に関わる利権が危機に晒されたことを強調しました。あのスピーチは2日間続きましたが、日本の人々の視線の中に東條の威厳を取り戻しましたね」

 東條英機大東亜戦争は「自衛戦争」であること、天皇陛下に責任はないこと、大東亜戦争は東洋民族解放のための戦争であったこと、を主張しました。これはもともとの日本の立場、主張です。当時の国民は厳しい検閲でモノ言えぬ中、東條英機がはっきりと日本の主張を述べたことによって溜飲を下ろしたのではないでしょうか。



参考文献
 「東条英機」太田尚樹著
 「秘録 東京裁判清瀬一郎著
 「東京裁判とその後」B・V・A・レーリンク/A・カッセーゼ編/序 小菅信子

添付画像
 東条英機(PD)

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