コミンテルンは生きている



 改革クラブ衆議院議員の西村 眞悟(にしむら しんご)氏はブログ及び「正論」紙上で「コミンテルンは生きている」とするエッセイを載せています。コミンテルン共産主義の国際組織で、1919年3月、モスクワで結成されました。戦前の日本共産党コミンテルンの日本支部です。
 西村氏は昭和54年(1979年)KGBのスパイであるレフチェンコが米国に亡命し、米国の下院情報特別委員会で次のような証言をしたことに注目しています。

 日本の政界、財界、学会、ジャーナリスト、財界の人士はソビエトのエージェントとして「ソビエトに協力しているという意識なく協力してくれた」「日本はスパイ天国だ」

 ソ連崩壊後、コミンテルンの第六回と第七回の大会の決議によって存続している大国は支那共産党のみになっています。西村氏は民主党幹事長の小沢氏が昨年、習近平氏が来日したとき、ルールを無視して強引に天皇陛下と引見させたことを「小沢氏の憲法観は民主主義人民共和国の憲法観」と述べています。(直接はGHQ憲法一条の象徴天皇国民主権こと) また小沢氏は自身を「人民解放の野戦司令官」といっています。西村氏は日本はコミンテルンのもとで「協力しているという意識無く協力するエージェントによって左右されている」「小沢氏のおかげでそれが分かった」と述べています。
 
 大東亜戦争終戦直後はGHQにはフランクフルト学派という共産主義者が潜伏していましたが、フランクフルト学派コミンテルンとは別で米国共産主義の巣窟OSSの指令によって動いていました。ソ連日本共産党は皇室を廃止しろ、と革命路線を打ちたてましたが、フランクフルト学派が支配するGHQは天皇を温存し、その伝統の力を利用して、国内を対立させ、軍事力を抑える方向に誘導する政策でした。そして来るべきときに革命を行うという「二段階革命」を志向したのです。毛沢東フランクフルト学派の政策を支持していたといいます。
 とはいえ、コミンテルンもGHQフランクフルト学派マルクスという根っこは同じで、GHQ総司令マッカーサーはカナダ政府よりハーバート・ノーマンという外交官(隠れ共産主義者)を借受け、対敵諜報部の分析課長を命じ、日本共産党員の徳田球一、志賀義雄らを刑務所から釈放しています。こうした共産主義者ら同士の接点はGHQ内外にあったわけです。

 公職追放によって行政、マスコミ、教育界といったところに空席ができ、そこに共産主義者が入りこみます。メディアや教育によって国民はコミンテルンフランクフルト学派の亡霊に取り付かれていきます。もっとも洗脳されたのは団塊の世代でしょう。そして政治家を含めて亡霊に取り付かれた人たちは無意識、あるいは意識的に時間をかけて日本を破壊してきました。そして最終段階に入ってきたということでしょう。その仕上げへのシナリオは既に出来上がっています。

 「地域主権」によって日本国家を分解し、移民を促進し、彼らに参政権を与え日本の各地域に支那を初めとする国の内政干渉が及ぶようにします。夫婦別姓は家族破壊だけが目的ではなく、移民しやすくするためです。(支那夫婦別姓) これらを推し進めるには「人権擁護法」などによって反対する勢力を「人権」の美名のもとに封殺する必要があります。そして日本の主権を東アジア共同体、あるいは国連(支那が五大国の拒否権を持つ)に移譲し、支那を盟主とする巨大な共産主義圏が出来上がります。現在、日本は確実のこのシナリオ路線を歩んでいます。



参考文献
 「正論」2010.6
    『保守よ、いまこそ救国の隊列を組め!』西村眞悟遠藤浩一
    『とんでもない事態の進行』八木秀次
 「歴史通」WiLL2009.10『野坂参三 共産主義政権の誕生』田中英道
 「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子著

参考サイト
 草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN
  コミンテルンは生きている(上) http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-2761.html
  コミンテルンは生きている(下) http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-2762.html
 WikiPediaコミンテルン

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添付画像
 スターリンの70歳の誕生日を祝う支那(PD)

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