ウ将軍をなぐらなかった男



 東京裁判の弁護人を務めた清瀬一郎博士は東條英機の弁護人でしたが、BC級戦犯で逮捕されたA中尉の無実証明に一役買っています。このA中尉は台湾の俘虜収容所にいた米軍のウェーンライト将軍を殴ったということで起訴されていました。俘虜収容所でブタか何かを飼う仕事が将軍に割り当てられましたが、将軍は老兵であり、そんな仕事をしたことがない。監視兵がもどかしがって、将軍の顔をピシャリとやったというものです。

 清瀬博士はA中尉はからの切々たる訴えによって巣鴨に出向き面会します。

A中尉「自分は台湾で俘虜監視の仕事にたずさわったのは事実であるが、ウ将軍を殴ったという事実はない。これは人違いか何かだ。このことを米軍調査官にふたたび三度訴えたが、取り上げてもらえない。このまま私は無実の罪で死ななければならないのであろうか」

 清瀬博士はA中尉と面会していてあることに気がつきます。A中尉は右手が無いのです。戦闘でやられて失ったため、俘虜の監視の仕事に回ったのでした。そこで同じ弁護人のブルーエット氏の名前でウ将軍に手紙を出してもらいます。将軍の顔面を殴ったとすればそれは右頬であったか、左頬であったか?ウ将軍からの返事は左頬をあいての右手の手のひらで強打された、というものでした。右手がないのに右手のひらで相手の左頬は叩けません。これでA中尉の無実が証明され、釈放されることになりました。
 
 これはめでたし、めでたし、というお話ですが、BC級戦犯と呼ばれる人の中には無実の罪で刑を受けた人は多かったと思われます。国内で戦後逮捕された者は家族に「ちょっと出掛けて来る」と言い残して、まさか自分が戦犯で裁かれようとは夢にも思わなかった者が多いといいます。
 
 各国、各地より戦犯として証拠のあげられるものを集めて戦争犯罪局というところが、リストにしていましたが、もとが聞き取り調査などで不正確のものが多く、結構デタラメなものでした。リストは以下のように記述されました。

「フクダ、兵、マニラ、1943年5月(5フィート7インチ、160ポンド、左腕上部、肩のすぐ下に半ば削り取られた入墨、左上の第三歯に金冠、しゃがれ声、頬にかすかな傷)」

「カラジュウチ、ロス、ビノス飛行場、1943年9月〜1944年9月(身長5フィート7インチ、体重170ポンド、ゴリラのような身体つき、黒髪、頬骨高く赤ら顔)」
 とまあ、こんな感じです。中には「イワサ、マオジ、真珠湾と特殊潜航艇で戦死した岩佐中佐まであげられており、何かの名簿を書き写しただけではないか、というような杜撰さです。

 BC級戦犯約5,600人が各地で逮捕投獄され、横浜、上海、シンガポールラバウル、マニラ、マヌス島等々南方各地の50数カ所の牢獄に抑留され、約千名がインチキ軍事裁判の結果、死刑に処されました。これは虐殺行為です。



参考文献
 「秘録 東京裁判清瀬一郎著
 「創られた東京裁判」竹内修司著
参考サイト
 WikiPediaBC級戦犯
添付画像
 巣鴨プリズン(PD)

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