ヴォートリンが南京で見たもの

ヴォートリンは南京で8000件におよぶ強姦事件を何件見たのか。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍は南京市を占領しました。ここで日本兵が殺人、略奪、強姦、放火といった蛮行を繰り広げたと言われています。難民を受け入れて国際…

陽気で無邪気で好奇心旺盛な江戸日本人

世界で一番人間性豊かな民族だったのかもしれない。 フランス海軍士官・スエンソンは慶応3年(1867年)に横浜にやってきました。日本人が汚らしい声で何やら言ってくるのが耳に触りました。「そしてこちらも疑い深い目で周囲の色黒でずんぐりした連中を…

南京事件の日々

ヴォートリンは南京をどう過ごしたのか。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍は南京市を占領しました。このとき、外国人による国際委員会が設置され、一般市民は安全区と言われる区域に保護されていました。ここで日本兵が蛮行を働いた…

外国人記者たちは南京大虐殺を見ていない

誰も見ていない南京大虐殺。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍による民間人を含めた大虐殺が行われたと言われています。それを報じたのがニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏とシカゴ・デイリー・ニューズの…

スティール記者は南京大虐殺を見たのか

ダーディン記者もスティール記者も南京大虐殺を見ていない。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍による民間人を含めた大虐殺が行われたと言われています。それを報じたのがニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏…

ダーディン記者は南京大虐殺を見たのか

ダーディン自身は南京大虐殺を見ていなかった。 昭和12年(1937年)12月、支那事変の南京戦で南京大虐殺があったと世界に知らせたとなっているのはニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏です。ダーディンは南京大虐殺を見たの…

南京虐殺を世界に知らせたというダーディンは嘘をついたのか

ダーディンは嘘をついたのか? 昭和12年(1937年)12月、支那事変の南京戦で南京大虐殺があったとして、ニューヨークタイムズのF・ティルマン・ダーディン氏が12月18日に伝えました。 ニューヨーク・タイムズ宛特電 「南京における大規模な虐殺…

礼儀正しく、親切だった江戸日本人

知らない人にでも挨拶し、親切だった。 幕末に来日した宣教師、S・R・ブラウン(安政6年 1859年来日)は、江戸幕府からキリスト教を広めるのではないかとの疑惑をいつも意識させられていました。ある日、街路を歩いていると、家来を連れた幕府の警察上役…

南京虐殺幕府山事件の印象操作

自衛行為だった幕府山事件。 昭和12年(1938年)12月の南京戦でよく言われるのが南京城外の幕府山で捕虜を大量処刑した、という話です。これが南京虐殺に相当するというものです。関与したのは山田支隊の歩兵第65連隊両角(もろずみ)部隊と言われ…

無人地帯で南京大虐殺は不可能

人がいないのに大虐殺などできない。 昭和12年(1937年)8月13日、支那軍が上海の日本海軍陸戦隊を攻撃し、第二次上海事変が勃発しました。支那軍は3万、日本海軍陸戦隊はわずか4千。日本は陸軍を派遣します。戦闘は大激戦となり、11月5日の日…

南京虐殺の人口トリック

20万人を30万虐殺できない。 ホロコースト、広島・長崎の原爆とならぶ世界三大虐殺と言われてきた「南京大虐殺」ですが、陥落当時(昭和12年 1937年12月13日)の南京の人口が20万であるのに、30万殺害できるわけがないことは小学生でもわ…

失われていったユートピア、江戸文明

愛しき純ニッポン。 嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、黒船来襲。ペリー提督率いるアメリカ海軍東インド艦隊が浦賀沖に現れます。以降、江戸幕府は開国の道を歩むことになります。嘉永7年3月3日(1854年3月31日)、日米和親条約締結、安政5年(1858年…

鎖国中の江戸日本は外国人に興味津津

江戸日本は外国事情に通じていた。 江戸時代は鎖国していましたから、国内には外国人はオランダ人、支那人だけ長崎の出島にしかいませんでした。オランダ人の商館長は「カピタン」と呼ばれていました。カピタンは貿易業務の閉期に江戸へ参府することが義務付…

江戸時代の結婚相手探し

結婚はどうやって決めていた? 現代は恋愛結婚が主流ですが、江戸時代はどうやって結婚相手を探していたのでしょう。明治に入ってですが、長岡藩城代家老の家柄だった稲田家の六女の杉本鉞子(えつこ)(明治五年生まれ)は13歳のとき母親に呼ばれこう言わ…

江戸時代最後の宣教師シドッティ、天に召される

シドッティの情熱は新井白石の「西洋紀聞」に残された。 江戸時代最後の伴天連(バテレン)、イタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティは日本でキリスト教布教の許可を得るため、宝永5年(1708年)8月に単身で屋久島へ上陸しました。シド…

シドッティとの問答により得た新井白石のキリスト教観

キリスト教は一宗教と結論づけた新井白石。 江戸時代最後の伴天連(バテレン)、イタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティは日本でキリスト教布教の許可を得るため、宝永5年(1708年)8月に単身で屋久島へ上陸しました。シドッティは捉え…

新井白石とシドッティの交流

尋問を経ていくうちに交流は深まっていった。。 イタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティは日本でキリスト教布教の許可を得るため、宝永5年(1708年)8月に単身で屋久島へ上陸しました。当時、キリスト教は日本では禁教ですから、処刑さ…

新井白石 VS ジョヴァンニ・シドッティ

シドッティに興味津津の新井白石。 イタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティは日本でキリスト教布教の許可を得るため、宝永5年(1708年)8月に単身で屋久島へ上陸しました。当時、キリスト教は日本では禁教ですから、処刑されるかもしれ…

江戸時代最後の宣教師シドッティ、長崎へ行く

シドッティ曰く、オランダ人は「タバカリ!」 イタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティは日本でキリスト教布教の許可を得るため、宝永5年(1708年)8月に単身で屋久島へ上陸しました。キリスト教は日本では禁教ですから、処刑されるかも…

江戸時代最後の宣教師、シドッティが屋久島にやってきた

日本人の格好をして現れた宣教師。 宝永5年(1708年)8月のある日、屋久島の恋泊村の藤兵衛は炭焼きの材料にする木を伐りに島内の松下という所へ行きました。すると松林の中から人声がするので、見ると長身の男がいます。頭は月代(さかやき)にそり、…

マンガで学ぶ、南京大虐殺という大ウソ

南京大虐殺のウソをわかりやすくマンガで解説したブログ。 今年の2月に名古屋市長の河村たかし氏が「南京大虐殺はなかった」と発言して南京大虐殺が大嘘であることを知った人も多いのではないでしょうか。 南京大虐殺というのはマンチェスター・ガーディア…

清潔好きだった江戸日本人

昔も今も日本人は清潔好き。 幕末に来日した外国人は日本人は清潔な国民であることを指摘しています。 イギリス公使オールコック (安政6年 1859年来日) 「一般に日本人は清潔な国民で、人目を恐れずに度々からだを洗い、身につけているものはわずかで…

プライバシーが必要なかった江戸日本

プライバシーがなかったのではなく、必要なかった江戸日本。 江戸時代、庶民の家は開けっ放しだったので、幕末に来日した外国人は驚いてそれを記しています。 フランス海軍士官スエンソン (慶応2年 1866年来日) 「日本人の家庭生活はほとんどいつでも…

日本女性は美しかったが外国人はお歯黒が苦手だった

日本女性は日本の風景に溶け込んでいた。 幕末に来日した外国人は日本女性の美しさを称賛しています。 イギリス公使オールコック (安政6年 1859年来日) 「女は自然によって与えられた肌に満足しているようだ。その肌は、多種多様な色合いのオリーブ色…

武士の質素な生活様式に外国人は驚いた

日本の武士階級は西洋の王、貴族階級とは全く異なった。 幕末に来日した外国人は当然ながら日本人の生活様式に興味をもちました。庶民の暮らしはすぐわかりました。何しろ日本ではみな開けっぴろげで生活していたからです。 スイス公使のアンベール(文久3…

景気刺激のための放火?江戸の火事

火事と喧嘩は江戸の華といいますが・・・ 「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど江戸では火事が多かったのですが、幕末に来日した外国人もこのことに注目しています。 イギリス公使、オールコック 安政6年5月3日(1859年6月4日)来日 「(江戸の…

江戸時代、馬車がなかったわけ

江戸時代は労働組合が不要だった。 「えいほ、えいほ」と江戸時代、人を運ぶ乗り物は駕籠があったのは知られているでしょう。乗り心地はどうだったのか。幕末に来日した外国人の観察を見てみます。 イギリス公使、オールコック 安政6年5月3日(1859年…

浮世絵文化が再び世界を席捲!?日本のアニメ旋風

ジャポニズムは復活した。 慶応3年(1867年)、パリ万国博覧会で日本は伊万里焼を送りました。伊万里焼保護のためにと、今の新聞紙のように包み紙として使ったのが、当時の広告紙である浮世絵でした。パリっ子は浮世絵を見て衝撃を受けました。その構図…

オールコックが注目した日本の美

オールコックは日本の美を欧州に紹介した。 イギリスの公使オールコックは安政5年(1858年)日英修好通商条約が締結されたのち、極東在勤のベテランとしての手腕を買われ、初代駐日総領事に任命され、安政6年5月3日(1859年6月4日)に来日しま…

幕末に来日した外国人は日本の芸術品に飛びついた

世界が熱狂した"ジャポニズム" エルギン卿使節団のオリファント 安政5年(1858年)来日 「これらの会所(下田の会所)はもっとも人をいらいらさせる場所である。そこにはたくさんの品が並び、どれも美しく新奇なので、人は唖然とした気持ちになり、覆い…