江戸時代

江戸時代の日本人は幸せだった

人類史上もっともユートピアに近かった江戸日本。 物質的に豊かな現代からみると江戸時代というのは武士だけいい暮らしをして庶民は貧乏で不幸だったように思っている人が多いことでしょう。長屋の生活なんて6畳とちょっとした土間があって家具なんて箪笥(…

芝居じみていて妖精が住む国、日本

外国人は芝居セットの中の妖精をみた。 イギリスの詩人、ジャーナリスト エドウィン・アーノルド 明治22年(1889年) 「寺院や妖精じみた庭園の水蓮の花咲く池の数々のほとりで、鎌倉や日光の美しい田園風景のただ中で、長く続く早朝な杉並木のもとで…

乞食がいない国、江戸日本

江戸日本には乞食がいなかった? 旅行家 イザベラ・バード 明治11年(1878年)来日 「上陸してつぎに私が感心したのは、浮浪者が一人もいないこと、そしてとおりで見かける小柄で、みにくくて、親切そうで、しなびていて、がに股で、猫背で、胸のへこ…

子供を可愛がった江戸日本人

子供の虐待などあり得なかった江戸日本。 旅行家 イザベラ・バード 明治11年(1878年)来日 「私は、これほど自分の子供をかわいがる人々を見たことがない。子供を抱いたり、背負ったり、歩くときには手に取り、子供の遊戯をじっと見ていたり、参加し…

格式高かった吉原の遊女

外国人が驚いた遊女の地位。 栃木県にある日光江戸村にいくと花魁道中(おいらんどうちゅう)が見れます。これは遊女が置屋と呼ばれる遊女の待機所から客の待つ揚屋へ向かう道中を練り歩くものです。若いものを先頭に吉原の最高位である太夫格の遊女が妹女郎…

家具がなかった江戸日本に外国人は注目した

そういえば時代劇でも家具が見えない。 江戸の時代劇ドラマなど見ていますと、武家屋敷や裕福な町人の家の中はガランとしています。当時はテーブルや椅子、ベッドといったものがありませんから、そうなるのでしょうが、幕末に訪れた外国人は一様に驚き、中に…

「もったいない(Mottainai)」から木を乱伐しなかった江戸文明

緑豊かな日本列島は「もったいない(Mottainai)」の伝統のおかげ。 現在、私たちが使っている「紙」は木材を原料としてパルプという植物繊維から作られています。江戸時代の和紙も木が原料でしたが、「もったいない(Mottainai)」から木を切らなかったのです…

灯りも「もったいない(Mottainai)」とした江戸文明

電灯はこまめに消しましょう。もったいない(Mottainai)から。 現代では蝋燭(ろうそく)を灯りに使うのは誕生日のケーキの上にたてて「ふっー」と消したり、花火をするときの種火にしたりするぐらいでしょうか。使い終わったロウソクはどうしているかという…

稲わらをとことん使った「もったいない(Mottainai)」文化の江戸

もったいない(Mottainai)の代表選手。 日本人であれば当たり前のものは見過ごすところを外国人はしっかり観察し、記録します。 フランス海軍士官スエンソン 慶応二年(1866年)来日 「大きな荷鞍に荷物をどっさりのせられ、蹄鉄の代わりに藁(わら)のサン…

糞尿さえ「もったいない(Mottainai)」だった江戸文明

完全リサイクルの江戸。 幕末に来日した外国人は農村で下肥(しもごえ)、つまり人間の排出物を肥料に使っているのには鼻をつまんだようです。 フランス海軍士官スエンソン 慶応二 1866年来日 「目ではなく嗅覚が日本の風景に向ける非難は、一年のうちに決ま…

大江戸「もったいない(Mottainai)」文明の誕生

「もったいない(Mottainai)」は世界の合言葉。 昨年、教科書展示会へ行き、いくつかの歴史教科書を見ましたが、どの教科書も江戸のリサイクル社会、エコ社会を取り上げていました。私の子供の頃はそのような記載はなかったように思いますが、時代なのでしょ…

日米修好通商条約から生まれた幕末の錬金術

金銀交換で3倍になった! 安政5年6月19日(1858年7月29日)、日米修好通商条約が結ばれました。同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結んだので安政五ヶ国条約とも言われています。よく外国の領事裁判権を認め、日本に関税自主権がな…

江戸時代、武士より町人が強かった!?

武士は町人に平身低頭だった。 江戸時代、武士はいばりくさって、農民、町人から搾取したようにいわれてきましたが、実際、武士は借金まみれで、貨幣経済を握っていた町人に頭があがりませんでした。では武士は何にお金を使っていたのでしょうか。 加賀藩御…

遠山の金さんは経済通だった

いよ!金さん! 「北町奉行・遠山左衛門尉様、ご出座〜」ドンドンドンと太鼓がなり、お奉行がお白州に登場する「遠山の金さん」のドラマは有名でしょう。 北町奉行所は呉服橋内にあり、南町奉行所は数寄屋橋内にありました。位置関係で北と南と呼んでいたわ…

中村主水は裕福だった!?

中村主水は貧乏侍ではなかった。 テレビ時代劇「必殺仕事人」に登場する中村主水(なかむらもんど)は江戸町奉行の同心です。ドラマの中では"おばば様"と奥様に頭が上がらず、うだつの上がらない貧乏侍として描かれています。江戸町奉行に所属する役人は町方…

自然エネルギーを利用した水車

江戸時代はあらゆるところでリサイクルしていた。 国木田独歩の明治31年(1898年)の作品「郊外」に「水車」の話がちょっと出てきます。物語は小学校教員の時田先生が下宿しているところから始まっています。下宿家には娘がおり、先生の元教え子の梅ち…

武蔵野はススキ野だった

武蔵野は江戸時代につくられた。 「半ば黄ろく半ば緑な林の中に歩て居ると、澄みわたった大空が梢(こずえ)々の隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末々々に砕け、その美しさを言いつくされず。日光とか碓氷とか、天下の名所は兎に角、武蔵野の様な広い平…

江戸時代にも生活保護があった

「河本擁護」派の損得勘定 吉本興業への忠誠心見せるためか 2012.06.04 16:00 「次長課長」河本準一の生活保護問題が、妙な「お祭り騒ぎ」になってきた。“同僚芸人”が「自分の家族も受給していた」と告白したかと思えば、別の“同僚芸人”はツイッターで河本を…

幕末に"モノづくりのニッポン"をみた外国人

技術の日本は既に育っていた。 フランス海軍士官スエンソンは慶応二年(1866年)に来日しました。スエンソンは後に大北電信会社を経営し、日本と大陸を結ぶ通信路を施設した人です。 スエンソンは慶応三年(1867年)に横須賀の造船所を見学に訪れま…

江戸時代、農民は虐げられていたのか

百姓は百の姓という公民の総称。天皇の権威の下にあった。 江戸時代は武士がいばっていて、農民をイジメて搾取したようにいわれていますが、実際には農民は「村」の単位で自治しており、領主が「村」に立ち入ることはありませんでした。 知行取りの武士は「…

武士の娘の嫁入り

武士の時代、女性は家と家をつなぐためひどい扱いを受けていたのか? 長岡藩城代家老を務めてきた稲垣家の六女、杉本鉞子(えつこ 明治5年生まれ)は12歳のあるとき母に呼ばれてこう告げられます。「エツ子や、神仏のお守りあって、お前の嫁入り先が定ま…

武士の時代、女性の地位は低かったのか

本当に女性は虐げられていたのか。 封建的社会や戦前の社会において女性の地位は非常に低いもので虐げられていた、と大方の人は思っているのではないでしょうか。 加賀百万石の御算用者という会計役、猪山家の家計簿を分析した「武士の家計簿」によると猪山…

武士の結婚

昔はむちゃくちゃ結婚だったの? 長岡藩城代家老を務めてきた稲垣家の六女、杉本鉞子(えつこ 明治5年生まれ)の著書「武士の娘」では鉞子の兄が結婚当日に家出してしまいました。家の女中をしていた女性と恋仲になり、父と衝突したためです。このとき、鉞…

江戸時代を学校でどのように教えていたか

教科書がおかしい! 江戸時代は武士が農民を搾取した時代だった。一言でいうと私自身はこのように教わっています。五公五民というような50%も重税を課せられていた。しかも武士には切り捨て御免という特権があった・・・ 加賀百万石の御算用者という会計…

武士の家計簿

武士は貧乏だった。 「武士の家計簿」という映画が上映されています。なかなか休日は外出ができないので、半年後にDVDで見ることになりそうです。 この「武士の家計簿」の原作は磯田道史氏の「武士の家計簿」で加賀百万石の御算用者という会計役、猪山家…

日タイ400年史 〜 山田長政

日タイ400年史というのはタイのアユッタヤー王朝の親衛隊長となった山田長政の頃からを指すものです。 15世紀から17世紀にかけて東南アジアは「交易の時代」に突入していました。タイの国はアユッタヤー王朝がありましたが、1558年にビルマのタウ…

江戸時代にも宣教師がやってきた

豊臣秀吉の天下統一時、秀吉はキリスト教を認めていましたが、一転して禁止します。スペイン大帝国との対決が見えてきたからといわれています。白人は宣教師を尖兵として非白人の土地を植民地化していくのです。徳川時代に入り、家康も禁止しました。おそら…

武士が搾取したというウソ

教育学博士の若狭和朋氏は高校時代、日本史の教師が江戸時代、武士が農民や町民から搾取したと教えられたそうです。先生 「搾取により百姓は米は満足に食べれなかった・・・」 若狭氏「誰が食べたのですか?」 先生 「支配階級の武士や大名だ」 若狭氏「何パ…

江戸時代、百姓は天皇を知っていた

私は昔、明治維新の新選組の本をいくつか読みました。その中で尊王思想というのがありますが、庶民は京都を除いては「天皇」の存在は薄いものと書かれていた記憶があります。 小林よしのり「天皇論 追撃篇」で作家の小谷野敦(こやの とん)氏が「江戸時代に…

江戸時代の平和ボケの頃

江戸時代は平和が長く続きましたが、そんな中で林子平(1738年8月6日−1793年7月28日)と言う人が、「三国通覧図説」というのを書いており、朝鮮、琉球、蝦夷が侵略されると日本は危ういと説いています。次に「海国兵談」を書きます。これは学校でも習った人…